あの震災からもう2年がたつんですね。
あのときは家族揃って在阪でしたが、大阪も長周期の不気味な振動が続き非常に恐ろしかったのを覚えています。
さて、3月11日前後のニュースや報道番組を見ておりますと、いずれの番組も枯れてしまった『奇跡の一本松』のレプリカ建造現場で長々と中継をし、芯にカーボンが入っているだの何だのとレポーターがしゃべり倒しておりました。
おいおい、震災から2年を過ぎた今、報道すべきはそんなレプリカの話ではなく、「レプリカの周囲のかつての町並みが今、どんな状況なのか」ってことではないの?
そもそも、震災を耐えた松が枯れてしまったのは確かに悲しいことだけど、それを億単位の費用を掛けてレプリカで残すことに意味があるのかな?
昔からの日本のやりかただったら、石碑などでそういう松があったことを後世に伝え、100年掛けてでもその松の子孫で松林を復元させる…普通はそういう流れになるのではないんでしょうかね?
城とかお寺とか、人間が作ったものなら作り直せば良いと思うけど、自然に生きていた松をこんな形で外面だけ取り繕った人工物で再現することを思いつき、実行してしまうのは、正気の沙汰には思えません。
復興も思うように進まぬ中、こんな事業に寄付するお金があるなら、防災設備とか、他のもっと大事なことに使って欲しいものですね。
【ニュース元】
陸前高田「奇跡の一本松モニュメント」寄付とはいえ1億5000万円に賛否
---中略---
「観光資源になる」「生活復興が先だ」
高さ約27メートル、幹の部分は芯をくり抜きカーボン製の心棒が埋められ、上の枝葉はすべてレプリカだ。復元費用は1億5000万円。すべて寄付で賄うことになっており、すでに8700万円が集まっている。
ただ、一本松の復元には地元ではいまだに賛否両論がくすぶっているようだ。「復興のシンボルになる」「将来の観光資源になる」という賛成意見、「松の復元はいいが、まず自分たちの生活や街の復興が先だ」という反対意見だ。
岸本によると、「市は計画通りに復興は進んでいるというが、住民は自分たちが思い描いている復興にはいたっていないと考えている」という。たしかに、大震災から2年が経過したのに、奇跡の一本松の周囲には住民たちの笑顔もなければ会話も何もない。
接ぎ木の2世はこの2年で12センチに成長
そんな寂しい中で、岸本は「松の接木に成功しました」と「松原を守る会」から借りてきた接木を披露した。接木を行ったのは2011年5月で、当時は3センチ足らずだったのが1年8か月で12センチまで成長し、強い生命力を見せている。
2013年03月12日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/72988065
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
この記事へのトラックバック
http://blog.sakura.ne.jp/tb/72988065
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
この記事へのトラックバック